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蜜恋絵巻
~快感たいむすりっぷ~
むつみ花藍 イラスト/ゆえこ

キーワード: 平安 現代モノ 初恋 甘々

はっきりした目元、つんと高い鼻。それから小さな顎。昨年入内した姉とは違い、不美人な姫は名ももたず、忌み嫌われていた。ある日、白狐に導かれ、姫は不思議な光へ足を踏み入れる。そして、気づけば未知のものだらけの世界にいた。戸惑う姫を美しい青年が助けてくれる。どうやら姫は未来へ「たいむすりっぷ」したらしい。優しい彼――朝陽は姫の世話を焼き、「千歳」という名前をくれる。さらには「君は綺麗だよ」と甘くくちづけられ…? 配信日:2016年6月24日 


 それにしても広い空間だ。四方はすべて閉じているのに、どこかから微風が吹いてくる。その上、かすかに甘い匂いが漂っていた。香とは違う、ということだけはわかる。
 さらに音楽が聞こえてくる。不思議な音だ。楽器を演奏している者も見当たらないし……。
 どうにでもなれと思って光のなかに身を投じたが、こんなにわけのわからぬ場所に辿りつくとは……。さすがに心細くなってくる。
 向かいに腰かけた男が、姫にも座るよう勧めてくれたものもよくわからない。腰を落とすと驚くほどふわふわしていて身体が沈みそうになり、慌てて立ちあがった。
「どうしたの? くつろいで。っていっても、その格好じゃあリラックスできないかな? 少し脱いだら? エアコンがついているといっても、夏なんだし」
 またもいくつか意味不明な言葉がまざっていた。
「あの……。ここは黄泉、ですよね?」
「ああ、そうだった。迷子なんだよね。ヨミというのは何? ショップの名前?」
「しょっぷ……」
「うーん。聞き覚えがないんだよなー。というか、どうしてずっと顔を隠しているの?」
「それは……」
 自覚していても、醜いからだと自ら口にするのはつらかった。
「……まあいいか。とりあえず座って落ち着こう?」
 優しい物言いだった。姫はおっかなびっくり腰を下ろす。するとそれを見計らったかのように、女性が何かを運んできた。
「ミルクティーだよ。きっと気持ちが安らぐ」
 いい香りが漂ってきて思わずそっと盗み見る。白い器に白茶色の液体が注がれていた。
「顔を見られたくないなら僕は向こうを向いているから、飲んで」
 表情をうかがわずとも、彼がほがらかな面持ちをしているのがわかる。混乱しつつも、親しげにもてなされるのは嬉しかった。他人からこのように扱われたのは初めてだ。
「ありがとうございます」
 従者らしき女性が下がり、男が言葉どおり顔を後ろへ向けたので、姫は器を両手にとった。
 だが、正体のわからぬものに口をつけるのは勇気がいる。
「変なものは入っていないから安心して」
 いつまでも躊躇しているのは悪い。立ちのぼる湯気をじっと見つめ、姫は思いきってそれをひと口飲んでみた。
 口のなかにたちまち華やかな香りと柔らかい甘さが広がる。
「美味しい」
 素直に感想をもらすと、「そうでしょう?」と嬉しそうな声を上げながら男がこちらを向いた。
 突然目が合い、びっくりして器を取り落としそうになったところへ、男の手が伸びてくる。
「セーフ」
 と言いながら、彼は器を台の上に置いた。
「も、申し訳ありません。失礼なことを……」
 詫びつつも急いで顔を隠す。
「やっぱりなぜ顔を隠したがるのかわからないなあ。すごく美人なのに」
「びじん!?」
 心底驚いた。
「あれ? 自覚がないの?」
 冗談か何かだと思ったが、男はいたって平然としている。姫の顔をまともに見たというのにだ。
「忌まわしいと思わないのですか?」
「どうして? とても綺麗だって思うよ。目が大きくて鼻筋がすっと通っていて。唇が小さいし、肌が白いから品があるよね。お人形さんみたい」
 嘘をついているとは思えなかった。ならば目が悪いのだろうか? それにしては先ほど的確に器を受けとったし、姫について挙げた特徴はことごとく正しかった。
 すべて、皆が厭う特徴だ。
「君は自分の顔が嫌いなの?」
「もちろんです。顔だけじゃなく、すべてが、普通ではないから」
「ああ、もしかして可愛すぎるからいじめられてきたとか? それならわかる。僕もハーフで顔がバタくさいから何度か難癖をつけられたよ。あと、こんな顔立ちなのに日本語がぺらぺらだからってなぜか笑われたり」
 彼が言っていることの半分も理解できなかったが、彼も見た目のせいで嫌な思いをしてきたのはわかった。
「あなたは美しいと思います。黄金色の髪は珍しいですが、輝いていて絹糸のようで」
「君だって綺麗だよ。髪も顔も」
 姫は何度も頭を横に振る。
「不思議だな。日本人だよね? だったら美的感覚もだいたい同じだろうに。あ! もしかして平安時代からタイムスリップしてきたの? それなら美人の条件がずれていても納得できるよ。というのは冗談だけど」
 男がおかしそうに笑う。明るくおおらかな人だ。いや、人かどうか、まだ不明だが……。
 目が覚めてから随分たつのに、状況がひとつも把握できない。謎が増えていくばかりだ。
「あの。ここがどこなのか、教えていただけますか?」
「僕の家だよ」
「家……」
 改めて室内を見回してみる。広く整った空間は、不思議ではあるがまばゆく、高貴さが漂っていた。
「もしや、あなたは帝のような方ですか?」
 黄泉でいちばん偉い人をなんというのか、知らなかった。
「帝? 本当に昔の人みたいなことを言うね。僕は今、何者でもないよ。モラトリアムっていうか、来年まで休暇中なんだ。父は美術商をしていてちょっと有名だけど、あくまで一般人だよ。で? 君はどこから来たの?」
「……どこから、と訊かれれば困るのですが、裏庭の竹藪に入っていったら、不思議な光に包まれて……。気づいたらここにいました」
「……え? 冗談でしょう?」
「いえ。それがすべてです。ああ、そういえば白狐がいました。白狐のあとを追ってそうなったのです」
 真剣に言いつのると、彼は絶句した。
 あまりにも長い間無言がつづくので、ちらりと様子を見てみれば、神妙な面持ちで考え込んでいた男が顔を上げる。
 彼と視線がかち合い、急いで下を向こうとした刹那、
「本当にタイムスリップしてきたってこと?」