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身代わりの初夜権

依田ザクロ イラスト/YUGE

キーワード: 西洋 初恋 身分差

亡き姉の婚約者・イズライールと結婚するサラ。だが、彼を兄のようにしか思えず、彼にとってはレミの身代わり。また、町には『初夜権』が存在し、結婚の許可を得るため、領主に処女を捧げなければならなかった。『初夜権』のため、都にある領主の邸へ赴くと、なぜか数日待たされる羽目に。そんな中、サラは初恋のアルブレヒトに再会する。なんと彼は急死した伯父に代わり、領主になっていた。初恋の相手に抱かれなければならないサラは…? 配信日:2016年8月26日 


「どうしてアルブレヒトがここにいるの……!?」
 サラはすみれ色の瞳を見開き、正面に立つ男性を見つめた。サファイアのように美しい薄青の瞳、鼻筋の通る整った顔、さらさらの黒髪は後ろで束ね、鍛え上げられた体躯はシンプルな絹のサーコートに包まれている。紛れもなく数日前に再会を果たし、初恋を再燃させた相手に違いなかった。
 思いも寄らない事態に、頭は恐慌状態だ。けれど、対するアルブレヒトは落ち着いた様子だった。
「それはもちろん、サン=ドミの町の領主になったからだよ」
 そんなバカな。だってアルブレヒトが領主なのだとしたら、サラは――
「だから、君の『初夜権』は僕のものなんだ」
 今ここで、彼へ純潔をささげなくてはならないのだ。
(お願いだから、嘘だと言って……)
 サラの細腰にアルブレヒトの腕が回り込む。しっかりと抱きとめられ、端整な顔が近づいてきた。
 ――キスされる。
 身を引こうにも逃げ場はない。ラベンダーの香りがふわりと鼻をかすめたと思ったら、唇をふさがれていた。
「ん……っ」
 首を振って逃れようとする。手首は解放されたが、今度は後頭部を押さえつけられてしまった。次の瞬間、唇の隙間からなまぬるい感触が口内へ割り入ってくる。
「や……」
 抗議の声を上げたのに、熱い塊がもっと奥へ侵入してきた。おののくサラの舌をとらえ、淫らに絡みつくのは、アルブレヒトの舌だった。
「んん……っ、んっ」
 こんなの知らない。町で出会ったときされたのは、いたずらみたいに優しいキスだった。
 やめてと言いたい。でも口内はすっかり支配されてしまい、一切の抵抗は許されなかった。逃げたくても隠れ場所がない。すぐ彼の熱い舌に見つかって引きずり出され、唾液が絡まりあう。
 ざわざわと体中の産毛が逆立った。息が苦しくてたまらない。呼吸ができないだけではなく、胸も尋常ではないほどバクバクと跳ねている。どうにかなってしまいそうだった。
(私、アルブレヒトとキスをしてる……)
 じんと脳天が痺れた。酩酊感にくらくらする。
 けれど、これは単なる儀式。
(勘違いしてはダメ。私はイズライールと結婚するために『領主様』へ初夜をささげるのよ)
 好きでもない相手との結婚のため、好きになった人に抱かれる――なんて滑稽なことだろう。町中探してもきっと、こんな娘はサラ以外にいない。
 情熱的に思えるこのキスは、アルブレヒトにとって領主の務めを果たしているに過ぎないのだ。
「サラ……」
 いったん唇が離れ、切なげな声がサラを呼ぶ。
(なのに、どうしてそんな声を出すの……)
 愛されているのだと錯覚してしまう。
 彼の手は優しくサラの髪を撫で、また向きを変えて唇を重ねてくる。
 重ね合わせた唇ごし、感極まったようなつぶやきが伝わってきた。
「柔らかい……」
 ぞくりとした震えが背中に走った。サラを抱きとめる腕に、いっそう力がこもる。
「は……、はぁ……」
 サラは思わず吐息をもらした。すると間近からこちらを見つめていた薄青の瞳が鋭く光った。まるで炎が宿ったみたいで、サラにもその熱が伝播する。
(あ……)
 くちづけが急に激しくなる。舌先がぬるぬると粘膜をこすり、歯列を這いまわった。からめとられた舌がきつく吸われ、別の場所がじゅんと潤うのを感じた。
(いや……、なに……?)
 ぎゅっと眉根を寄せる。未知の感覚がサラを襲った。へその奥が熱い。内臓をきつく握られた心地がして、苦しくてたまらない。吸われているのは舌なのに、どうしてそんなところが反応するのかさっぱり理解できなかった。くちづけに翻弄されて、頭がうまく回らない。
 アルブレヒトは角度を変えて何度も唇を押しつけてきた。長いまつげが肌をかすめる感触は羽のように優しく、熱い唇が呼気を奪う様子は嵐のごとく荒々しい。繊細さと激しさが同時に肌の上を這いまわり、頭が混乱した。
 やがて呼気も唾液も蕩けあい吸いつくされたころ、彼の唇はゆっくりと耳朶を伝い、首筋に下りはじめた。
「ひゃ……っ」
 肌がぞわぞわっと粟立つ。あまりのこそばゆさに身悶えた瞬間、ぴりっとした痛みが走る。
「痛っ」
「ごめん、噛んじゃった。あまりにもおいしそうで」
 上目遣いでアルブレヒトがうっすらと笑う。冗談めかした口調でありながら、双眸は獲物を前にした猛獣のように妖しくきらめいていた。
「もっと早くこうすればよかった」
(……っ!)
 食べられる。バカみたいだけれど、そう思った。
 早くっていつ? まさか再会した日――? そんなことを考えていたとはとうてい信じられない。
 理解が追いつかないうちに、ひょいと体を抱き上げられた。勢いでサンダルが脱げてしまう。
「きゃあっ、おろして!」
「暴れないで。優しくしたいから」
 サラの抵抗などものともせず、軽い足取りで部屋の奥へ進む。
 そこには、白薔薇の模様が織り込まれたタペストリーのかかる寝台があった。立派な胡桃の木の天蓋がつき、真っ白い清潔なリンネルが何枚も敷かれている。枕もとに見えるポプリはハーブらしい。
 アルブレヒトは大切な宝物であるかのごとく、サラを寝台の上へ横たえた。リンネルの下には羽毛を詰めたマットレスが敷いてあり、サラの体は自重で柔らかく沈む。
 普段は硬い麦わらの上で寝ているので、すぐには起き上がれず、もたついてしまった。そこへ寝台をギシリと軋ませ、アルブレヒトが覆いかぶさってくる。
 とっさに押し返そうとした両手はあっさりとつかまり、それぞれ耳の傍らに縫いとめられた。石のように重い体がのしかかる。
「う……っ」
 硬い胸板が押しつけられた。サラの乳房はふにゃっとつぶれ、息苦しいのと同時に先っぽが変な熱をもってじんわりと痺れた。
「サラ……ふ、なんて柔らかい」
 甘いため息と共に、またくちづけが落ちてくる。ぴったりと口が覆われ、下唇を軽く食まれた。胸の尖りがさきほどよりもちくちく痛む。
 首を振っても彼の唇は執拗に追ってきた。
(こんなの、嫌……)
 義務感だけで機械的に抱かれる初夜なんて。その相手が外でもない初恋の人だなんて。
 みじめで切なくて苦しくて、悲しい。耐えられないって思うのに――。
「あ……、んっ」
 心が甘く震えるのを止められない。どうしても切なげな吐息がもれてしまう。
 永遠に続きそうなほど情熱的なくちづけに翻弄される。いつしか抵抗を忘れ、くったりと力なく寝台に身を沈めていた。
 サラの腕から力が抜けたのを見計らってか、アルブレヒトの拘束が解ける。手首に残るじんじんとした熱を感じつつ、サラはぼんやり彼を見上げた。
 優しげな双眸が見つめ返してくる。
「かわいいよ、サラ……。いま初めて僕は、領主になってよかったって思う」
(あなたが領主様でなければよかった)
 サラは逆のことを考えて目を伏せた。陶然としたアルブレヒトの声がまぶたの上へ落ちてくる。
「君を抱く役目を、他の誰にも渡さない」
(他の誰でもよかったの。あなた以外なら)
 無機質に、体の痛みにだけ耐えればよかった――。
 大切な思い出を、こんな形で失うはめになるなんて。